2013/06/23

今年も政治色強く。ソウル・マージナル・シアター・フェスティバル7月3日開幕。

以前、Nextの制作手帖コラム「来なきゃ分からないことだらけ from ソウル」Vol.3でも紹介したのですが、韓国独特の概念である「ダウォン芸術」をメインに扱うフェスティバルとして、Festival Bo:m(フェスティバル・ボム) と並んで重要なのがSeoul Marginal Theater Festival(ソウル・マージナル・シアター・フェスティバル)です 。

その、ソウル・マージナル・シアター・フェスティバルが今年も7月3日に開幕します。
そして全作品のラインナップが発表されたので、ひとまずオープニング作品をご紹介。
それ以外の演目も、追って少しづつ紹介していきたいと思っています…。(できるかなドキドキ)
(昨年は、超気合を入れてこのブログで全作品を紹介したので、こちらも参考までにどうぞ。




ボムとマージナル、両者とも民間のフェスティバルで、女性ディレクターが活躍しているというのは共通です。ただ、最近ボムのほうは日本でも知名度が上がってきて、ボムのシーズンになると会場でたくさんの日本の関係者を見かけるのですが、マージナルはまだ全然その存在すら知られていないんじゃないのかなぁ・・・。とも思います。

ボムは、チェルフィッチュやロメオ・カステルッチ、ジェローム・ベル、フォーサイス・カンパニーなどの引きのある海外演目と国内演目がだいたい半々なので、韓国のアーティストのことを全く知らなくても、華やかな海外勢によって、比較的「よし、このフェスティバル行くぞ!」というモチベーションにつながりやすいかなぁと思います。
また、今年からすべての演目が英語対応しているので韓国語が分からなくても、演目をある程度は楽しめるというのがボムのよいところ。

一方、マージナルは演目中8割以上が韓国の演目で、しかもほぼ日本では知られていない人ばかりです。特にマージナルの演目の特徴としては「政治色が強い」というのが挙げられると思います。
歴史・政治のローカルな問題(しかし、題材はローカルでもそこにある“問い”は万国共通なものですよね。)を、芸術によって表舞台に挙げ、光を当てる。そこで議論を起こすのがこのフェスティバルの目論見だと言えると思います。
それは、ソウル・マージナル・シアター・フェスティバル宣言文にも表れています。
そしてその方法論もかなり実験的なものが多く、中には作品まで昇華できずに実験で終わってしまった感のある作品もごろごろあるのですが、その玉石混合な感じも醍醐味としてとらえれば、このフェスティバルを楽しめるのではないかと思います。
ただ、ほとんどの演目が韓国語のみなので、韓国語が分からないと理解が難しい部分もあるので、そこはあらかじめご注意を。昨年は日本からも坂口恭平さんが招聘されました。

それでは、フェスティバルの顔ともいえるオープニング演目をご紹介。

ソウル・マージナル・シアター・フェスティバル2013

<オープニング作品>観客参加演劇 『スクジャの話』

(C)Seoul Marginal Theater Festival
2012年3月から6月までの合計16回にわたって、基地村*で、おばちゃんたちのトラウマ治療のための演劇療法ワークショップ 『明るく堂々と生きよう!』が実施された。
このワークショップで作品が製作され、2012年7月と10月に公演が行われた。
たまたま基地村に流れ、基地村の女性として生き、70歳が過ぎ、しかし基地村を抜け出すことができず、その周辺に住んでいるおばあちゃんの話が題材である。
私の祖母は、私の母は、また、私は―――その時代の生活を「彼女」が直接出演して話を聞かせてくれる。「国家」のために、そして 「国家」によって保護され、管理された 「彼女」が、彼女たちだけの堂々とした人生の主人公として舞台に立つ。

*基地村…日本の植民地時代からは日本軍、それ以降は米軍基地の周辺に形成された村。現在の基地村は、他の地域から移住してきた貧困層、性風俗従事者、軍労働者、軍納入業者・ディーラーなどが集まり、新たに形成された場合がほとんどである。非常に複雑さを帯びた多様な集団で構成される基地村では、地域間の結束、地域住民間の結束が非常に難しく、また、伝統的な倫理観や価値観が多く衰退しているとされる。