2013/09/11

なぜいまさら大学院に進学しようと思ったか。

大学院に合格しました!

いろいろな方にご相談したり、本を薦めていただいたりして、お世話になったみなさま本当にありがとうございました。
受験前後に応援メッセージをくださった皆様も本当に感謝、感謝です。

初心が大事、ということで私がなぜ大学院を目指したかをここに書いておこうと思います。
現実逃避して流されそうになった時、これを読んで(その時に「なんか甘ぇことかいてんな、自分」と思う可能性も大ですが)原点に立ち返れるように。

まず「大学院」を考えるようになったのはやはり、昨年1年間の韓国での生活がきっかけです。
韓国にいたときにNext「制作手帖」でコラム執筆の機会をいただき、月に1回記事を書いていましたが、その最終回で私は下記のようなことを書いています。

“ある政策、アーティストへの支援体制、今舞台芸術界で起こっている現象、それだけを切り取って断片で見ても肝心なものが見えてきません。1年前に隣の芝生が青々と見えていた私も、実際に韓国人社会に飛び込んで、時給5,500ウォンでバイトをしながら韓国人の考え方を学び、少しずつ、少しずつ、「なぜそれがそうなったか」を理解できるようになってきました。日本と韓国を比べて、韓国のシステムのほうがいいところもあれば改善すべきところもあるし、逆もまた然りです。舞台芸術だって社会とつながっている以上は、その社会の政治、経済、歴史、思想の影響を当然受けるし、逆にそれらを知った上でなければ見えてこないものがたくさんあります。私のこの1年のキーワードを挙げるとすれば「無知の知」だと思います。自分がいかに無知で何もわかっていないかを学んだ2012年でした。今後も常に考え続け、学び続けなくてはいけない、知ったつもりになるのが一番恐ろしいと、改めて感じた1年でした。”


この時にはもう「大学院」という選択肢が胸の中にあったと思います。
韓国の舞台芸術に関わる以上は、政治、経済、歴史、社会問題に対してちゃんとアカデミックな見識を付けないと、今の自分はただの「韓国語ちょっと話せて、韓国にも少し住んだことがある、他の人よりは若干韓国に詳しい制作者」に過ぎないんじゃないかと。

たとえば美術のキュレーターが、社会の問題や事象に対してある視点や問いを立て、それを観客に問うため作品や作家を集めたりするけれど、今の自分が日韓関係のなにかをテーマにそれができるかと問われると、できません。
舞台芸術界のことはなんとなく分かるけど、それ以外の韓国の「土台」への理解が圧倒的に足りていないからです。制作者としてもし自分の専門性を「韓国」とするなら、大学院に行くことは必須だろうと思っていました。

ある方に知識不足だけだったらわざわざ大学院に行かなくても本を読めば補えるんじゃないかとも言われました。なぜそれが大学院という発想になるかというと、私が韓国で生活していた2012年は日韓関係もいろいろ荒れていた時でしたから、韓国人の方々に歴史問題や領土問題を問われる場面もありました。
私の韓国語がつたないせいもありますが、最終的には「まぁ日本はちゃんと歴史教育してないからね」と言われてしまう、その悔しさもあるかもしれません。
自称ではなく、ちゃんと認められた形での「証」がほしいと強く思いました。

また日本で制作者をやるのであれば学歴なんて全然必要ないけど、制作者であっても海外と仕事をする上では(というより海外の組織の中で仕事をする、といったほうがいいかもしれません)意外に「修士」が必要になるかもしれないということも感じていました。

知識不足を補うために日韓関係の本をいろいろ読み漁っているなかで、ある先生の著書を何冊も読み「この先生に学びたい」という思いが強くなり、その先生がいる大学院を志望しました。

この先生は「政治学」の先生なので、この先生のもとで舞台芸術を扱うということについてもいろいろ考えました。
でも、市場の原理で成立しないものを切り捨てず、公的な助成を入れて社会に機能させるのはまさに「政治」の役割であると考えると、政治学の中で舞台芸術を扱うというのも自分の中では筋が通っているんじゃないかと思うのです。(これに関しては、入試の科目のひとつにあった口頭試問で、次から次へと専門の先生方に矢を放たれ、試験終了後の私は落ち武者状態でアイデンティティ崩壊の危機に陥っていました…。その時に励ましたくださったみなさま、ありがとうございます&すみませんでした…)

肝心の研究内容はまだ内緒です。

今までのように時間が完全に自由になる訳ではないので、仕事もなかなか受けられない上に今まで活動してきた東京を離れることになります。(行先は神戸です!)
まだまだ動きが定まりませんが、なにはともあれ3月までは東京にいますのでどうぞよろしくお願いいたします。