2013/12/29

私と舞台芸術と社会について。

12月23日~25日に吉祥寺シアターで開催された「演劇人のための鈴木教室」に参加させていただきました。参加者には学生も俳優も演出家も制作者もおり、そこでいろいろな話が繰り広げられたのですが「演劇と社会(と私)」について、再度自分自身に問い直す貴重な機会になったと思います。

「舞台芸術と社会と私」について、実は自分にとってはとても重要なエピソードがあるのですが、今まで特に誰かに話したりもしていなかったのでこれをきっかけにここに書いておこうかな、と思いました。
とても個人的な話なのですが。

舞台芸術が社会の役に立つのか、役に立つとすればそれはどういう形でか、その問いに私自身は答えを見つけられず、悶々としている時期がありました。2010年あたりからです。
自覚したのがその時期、というだけでもっと前からそのことについては思い悩んでいたような気もします。
自分が進む道は舞台芸術じゃなくてもいいのかもしれない、そろそろ普通の会社とかに転職するころなのかなぁ、などと考え始めた30歳目前の頃。


多くの人が30歳を手前に一度自分の生き方を問い直すように、(そして舞台芸術を離れるとすればだいたいこのあたりの年齢であるように)、私も自分の進む道に確信が持てずに、やはりここで一旦離脱したいと思うようになっていました。
フェスティバル/トーキョーの制作統括をやっていた頃の話です。

そしてそんなある日、東日本大震災が起こりました。

たくさんの方々が地震・津波の犠牲になり、被災地は荒れ果て、東京は節電のために暗く、繰り返される被災地からのニュースを前に、私自身は圧倒的な無力感に襲われていました。
この現実を前にして、私には何もできない。
医者や看護師や自衛隊のように、被災地のために使える知識も経験もない。
じゃあ、被災地に行かなくても一生懸命働いて東京で経済をまわす方法もある。
でも私の給料って結局税金じゃないか…。
それで経済まわしてることになるのか…。
自分が今までやってきた知識も経験も、こんな現実の中では何も役に立たない。
そんな無力感。絶望感。
苦しんでいる、悲しんでいる人たちがいるのに、私には何もできない。

頭も心の中もぐるぐる悶々としながらも、それでも目の前の仕事はやらないわけにはいかず、なんとかやり過ごす日々。決して前向きにはなれない。

実は震災の前から、4月に中国(北京・上海)にミーティングとリサーチのために出張に行くことは決まっていて、飛行機のチケットも取っていました。
しかし出張の日が近づくにつれ、日本がこんな状況なのに離れていいのだろうか、震災前と後では世界が一変してしまっているのに、震災前に組んだ予定をそのまま遂行するというのは正しい判断なのか、と、たった1週間程度とはいえ、日本から離脱することへの罪悪感もありました。

とはいえ、仕事は仕事なわけで。
北京に向けて出発の日、羽田空港でフェスティバル/トーキョーの中国コーディネーターのOさんと待ち合わせて航空会社のカウンターへ。
そして、私にとって運命の瞬間が訪れたのです。
Oさんのお知り合いで、北京と東京にギャラリーを持つYさんが偶然にも私たちと同じ飛行機で北京にいく予定だったそうで、カウンターでばったりお会いしたのです。
私は初対面だったのですが、フライトまで時間があったので3人でお昼ご飯を食べることにしました。

「北京と東京にギャラリーを持つ」と書いたように、Yさんは現代美術の方なのですが、中国のこと、今回の震災のことなどいろいろと話している中で、Yさんは福島の観光地化、そしてそこにこそ芸術の力が必要になる、という考えを話してくださいました。
(実はその後、東浩紀さんが「福島第一原発観光地化計画 」を発表した時には、本当に本当にびっくりしたのです。ちなみにこの計画にはYさんは関わっていません。この本も読むたびに勇気をもらうので、この計画のことを知らないという方はとにかくぜひ一度読んでほしいです。Yさんのお話ししていたビジョンはまさにこの本のスピリットとぴったり重なっているのです。)



このYさんと話した約1時間は本当に衝撃的でした。
震災からまだ1か月しかたっていないのに、目の前の現実で思考停止せず、5年も10年も先のことを考えていること、そして何よりも、そこに芸術の役割をしっかり確信していることに、心底、魂から、私は震えました。これは「啓示」だとすら思いました。
自分の考える「社会と芸術」が、まさに自分の半径3メートルくらいの、小さな世界で、そして薄っぺらい知識の中で答えを見つけようとしていたことにようやく気付いたのです。

そして、ずっとずっと後だろうけれども、いつか私の手にもバトンが回ってくるという希望と確信と勇気を持つことができたのです。

ここから、それまでよりずっとずっと広いスケールで社会と舞台芸術のことを考えるようになりました。

それ以降の私の行動は、韓国住んだり、大学院受験したり、まぁ傍から見ると意味不明なところもあると思いますが、自分の中ではここを起点にだいたい筋は通っていると思っています。

大学院で政治学を学ぶというと、政治家になりたいのかと勘違いされたりもするのですが(政治学って政治家になるための学問じゃないからね!)、私はあくまでも舞台芸術の現場にいると思います。
「現場」といってもいろいろですが。
今後たくさんの人と接していく中で、舞台芸術関係者では通用する話し方が別のフィールドの方々には通じないということも多々あるでしょう。その時に備えて大学院で、別の視点や言葉の使い方を身に付けておきたいというのも、大学院進学の理由のひとつです。
(大学院については、以前「なぜいまさら大学院に進学しようと思ったか。」で書いたのでこちらを。)

「演劇人のための鈴木教室」は、私にとっては「原点に帰れ」というメッセージをいただいた3日間だと思います。
だってYさんと私を引き合わせてくれたOさんも受講していたし。びっくりだよ!

足りない知識と経験は動いて埋めていくってことで。
私は行動し続けることでしか、考えることができないんだと思います。