2016/03/27

「国際文化交流」「文化外交」とはなにか?

NextとExplatがタッグを組んで実施している「Next舞台制作塾EX[西山葉子ゼミ] 舞台制作と越境2 ~2021年の話からはじまる海外公演の戦略と実践スキル~」が今週の月曜日に終わりました。

Next舞台制作塾では、現場の最前線で活躍中の制作者やドラマトゥルクの方などが講師を務めてくださることが最大の特徴ですが、現場を知っている人だからこその視点や論点が毎回とっても刺激になります。自分の中で特に整理していなかったごちゃごちゃした考えが、講師の方々が投げかける質問や、他の受講生の意見などによって整理されていくような感覚が毎回あるので、現場でバリバリやっている制作者のみなさんも時間さえあれば本当に参加してほしいです…。

今回講師を務めてくださった西山葉子さんは、青年団・こまばアゴラ劇場の制作として10年間国際プロジェクトを担当していたので海外公演の経験がとても豊富で、しかも現在国際交流基金に勤めているということで、やはり内容充実したゼミでした。

途中で、Explatが参加しているソーシャルスタートアップ・アクセラレータープログラム「SUSANOO」の事務局の渡邊賢太郎さんも現場訪問ということでNEXT制作塾EXに来てくれ、その体験をブログにも書いてくれました。外部の方から見ると、こう見えるのか!とういう新しい発見があり、やはり外に開いていくことも大事だなぁと思った機会でした。

最後の回のゲストが中西玲人さん(アメリカ合衆国大使館文化担当官補佐)だったのですが、そこで「文化芸術になぜ税金を使うのか」という投げかけがありました。



今回のNext舞台制作塾EX[西山葉子ゼミ]は、「海外公演、招聘公演、国際共同製作など国際事業に携わる制作者の仕事」を考えるということがテーマだったので、特に文化外交という点において、私が最近考えていることをまとめておきたいなと思います。

文化外交といったときにまず思いつくのが、クールジャパンとか、お隣韓国の韓流ブームとかのように、相手に「私たちの文化ってこうだよ!いけてるよね!」と自国の文化を発信するようなイメージなのではないかと思います。確かにこれはわかりやすいし、よくメディアでも取り上げられるので、文化外交=自国の文化の発信のイメージが強いのかな、と思うのですが、私の中での「文化外交」のあるべき姿とは、相手が私たちのことを知りたくなった時に、そっと開かれている窓のようなものであるべきなんじゃないかと思うんです。

「平和時の民衆殺戮の被害者数は戦争での犠牲者数のおよそ二倍」というのを最近読んだ本で知ったのですが、つまりはこの窓を開き続けることのできる国家であることこそが平和の維持、平和秩序の構築にとってすごく大切なんじゃないかと思うんです。
ある国を知るための窓っていくつかあると思うんですが、非常時に真っ先に閉められてしまうのがこの「文化の窓」なんじゃないかと。戦時中だって「貿易(経済)の窓」は開いたままだったりしますし、万が一閉められたら国際社会はそのことに気づきやすいですが、「文化の窓」がそっと閉められても外からは気づきにくく、そしてその国の中で何が起こっているかがわからなくなってしまうと、簡単に平和を装って殺戮が起こってしまうのではないだろうかと。

なので、「国際文化交流」とか「文化外交」という時に想像するベクトルの向きは、本来的には内から外へだけじゃなくて、外から内(それも強制的ではない)っていうイメージも強く持っておくべきだと思うんです。安定した民主主義の国においては、文化が簡単に経済政策と結びついてしまうので、輸入、輸出みたいな図式に置き換えられてしまいがちなのですが…。

また、文化で交流するからには当然「自国の文化」というものを見つめることになります。「自国の文化」といったときに民族的・政治的に優位な集団の持つアイデンティティや文化をその国の文化として採用し、民族マイノリティ集団の持つそれを上塗りしていく(同化政策)ことではなく、それぞれ異なる文化を国家の中の多様性として尊重し認めあうことこそが大切で、その姿勢が、内戦を防ぎ国内の平和秩序の構築のためには非常に重要なんだと思います。

つまりは「国際文化交流」とか「文化外交」と言いながら最終的には、対他国だけではなく、国内の平和や多様性の担保に貢献しているっていうメタな視点を持つべしなんじゃないかと思っています。

だからこそ「国内」の文化を考えることと「国際」の文化を考えることは両輪であるべきと思うのですが、なぜかこれが切り離されがちだなぁと思う今日この頃。分かりやすい例だと、日本人が海外に行くことにはお金が出るけど、海外の方を日本に呼ぶにはお金が出ない、とかね。

「文化」という、あらゆる境界を越えていける可能性を秘めたツールを扱っているにも関わらず、わざわざフレームを付けたうえで部分使用しかできないようにしているのは非常にもったいない。
これは「バランス」でしかないと思うのですが、もっとうまく両輪を使えるように、まずは俯瞰した視点を持っていたいなぁと思う今日この頃。

…というのが、私の現時点での考えです。

やはり税金を使って事業をしている以上、制作者みんなそれぞれ違っていいけれども「文化芸術になぜ税金を使うのか」ということの答えをそれぞれ持っていてほしいし、分からなくてもやっとしていてもいいので考え続けていてほしいなぁと思います。(たぶんこの答えは10人制作者がいたら10人それぞれ違うのでは。)

CINRAに掲載されたTPAMディレクターの丸岡さんのインタビュー記事「満席でも赤字の演劇事情。それでも公的資金で上演する意味とは?」も考えるための種をいくつもくれる記事なのでオススメです!