2014/02/24

TPAMエクスチェンジお礼と「プラットフォームをつくる」ということについて

2014年のTPAMは雪に始まり、雪に終わりましたがご来場いただいたみなさま、本当にありがとうございました。
私は今年のTPAMでも昨年に引き続き、ネットワーキング・プログラム「TPAMエクスチェンジ」とボランティア・マネジメントを担当させていただきました。

「TPAMエクスチェンジ」は昨年のTPAMで野村政之さんがファシリテーターとして形をつくったもので、昨年は私もTPAM側の担当者として関わらせていただいたのですが、今年は野村さんはショーイング・プログラムの「TPAMディレクション」のディレクターを務めることになったので、この「TPAMエクスチェンジ」のバトンを野村さんから引継ぎ、昨年11月中旬から会期までの約3か月、全力疾走で走り抜けました。(風邪をひくことも、体調を崩すこともなく。身体の丈夫さは親に感謝です!)

今年の「TPAMエクスチェンジ」は45年ぶりとかいう大雪で交通機関が乱れたにも関わらず、本当にたくさんの方々にご参加いただき、熱気あふれる2日間となりました。
ホストを務めていただいたみなさま、参加者としてご参加いただいたみなさまに、改めてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
(現場では私はマグロのように止まることなく会場を回遊し続けていたため、きちんとご挨拶やお礼をお伝えできずに失礼いたしました!)

実は前回のTPAMでは私は1月からチームに参加したので(12月まで韓国にいたため)、会期まで実質1か月しかなく自分的に「もっとやれたはずなのに時間がなくてでできなかった」という、やり残した気持ちが強くあったのです。
なので今回はそのリベンジ魂もあって、TPAMに関わらせていただけるなら早めに入れてほしいと事務局にお願いし、そのわがままを聞いていただき今回は11月中旬から今年のTPAMチームに入れていただきました。ディレクターの丸岡さん、 プログラム・オフィサーの塚口さんには感謝しております!

そのおかげもあり、今年はTPAMエクスチェンジの説明会と営業を50回以上行い、名古屋説明会(現地ファシリテーター:平松隆之さん)、大阪説明会(現地ファシリテーター:鳥井由美子)も開催することができました。この説明会に参加してくださった方々が実際にTPAMエクスチェンジにもたくさん参加してくださいました。

実は私の制作人生(といってもそんなに長くはないですが…)、この「TPAMエクスチェンジ」しかり、「プラットフォームを形作る」ポジションを任されることが何度かあり、制作者はそれぞれ得意なポジションがあったりしますが(劇場制作、劇団制作、当日運営などなど…)私はこういう「プラットフォーム制作」にやりがいを感じるし、適性もあるのかなぁなどと最近自覚し始めました。

一番最初に関わらせていただいたプラットフォームづくりといえば、相馬ディレクターの下での2010年フェスティバル/トーキョー「公募プログラム」の立ち上げで、この時はFrance_pan (大阪)、悪魔のしるし(東京)、C/Ompany(東京)、小嶋一郎(東京)、dracom (大阪)、岡崎藝術座 (東京)、マームとジプシー(東京)、神村恵カンパニー(東京)が参加してくれました。
この時はとにかくこの新しい枠組みを広く認知してもらい、そして主催プログラムとは違う色をつけるということに必死でした。

そしてその翌年のフェスティバル/トーキョー「公募プログラム」では、公募対象をアジアに拡大し、さらに「F/Tアワード」をつけるということになり、私としては「フェスティバルの傘下の一企画ではなく、主催プログラムへの対抗軸としての公募プログラム」をかなりはっきりと目指していました。
ゆえに、ゆるキャラ(公募プログ・ラムちゃん)を作ったり、ポップな蛍光ピンクのチラシをつくったり、主催では到底やりそうにないことをいろいろやらせてもらいました。
この時に参加してくださったのはKUNIO(京都) 、鳥公園(東京) 、捩子ぴじん(東京)、バナナ学園純情乙女組(東京) 、ピーチャム・カンパニー(東京) 、村川拓也(京都)、ロロ(東京)、ジョン・グムヒョン(韓国)、ランドステージング・シアター・カンパニー(中国)、 モダン・テーブル(韓国)、チョイ・カファイ(シンガポール)です。このときは2回目ということもあり、プログラムとしてかなり盛り上がったという手ごたえがありました。

この公募プログラムの立ち上げのために、他の組織がやっているプログラムを視察したり、実際に自分が担当した2回の経験を通して思ったのは、いくらスキームだけきっちり整えても、人に集まってもらう「生きた場」になるには、中にいる人の「情熱」や「思い」がなくては場は立ち上がらないということでした。
今までうまくいっていた、盛り上がっていた企画が、枠組みとしては変わっていないのに、それまで中心となっていた人がいなくなったことで、面白くなくなってしまうという例も実際に目にして、やはり人の思いが場を作るのだと、私の中ではこれは確信しています。

偶然にもフェスティバル/トーキョーの公募プログラムの終了が発表されたそのとき、そのプログラムの立ち上げにかかわった私は「TPAMエクスチェンジ」という別のプラットフォームをつくることに全力投球していて、なんというか、皮肉なもんだなぁと思いました。もちろんそれぞれのプラットフォームに課されたミッションもターゲットとする層も全く違うものなわけですが。

さてさて、私は4月から新生活が始まるので、TPAMに中の人として関わることができるのは今年で最後だなぁと思っていたのですが、いろいろな方々にもう1回くらいは「TPAMエクスチェンジ」やったほうがいいよ、と言われて、実際そんなことは可能なのか、その頃私はいったい何をしているのだろうかと、いろいろぐらぐらと考えております。